RATSUN 620
- NezRodz
- 2020年4月9日
- 読了時間: 8分
更新日:2021年10月2日

Intro
筆者は埼玉県にある小さな空冷ワーゲン専門店に長男として産まれた。物心つく前よりビートルやワーゲンバスといった車に乗り、ホットウィールで遊んで育ってきたので車好きになったのは言うまでもない。今日に車趣味を楽しめてるのはそんな英才教育のおかげであるとも言えるので親には感謝している。
両親は同時に大のアメリカかぶれである。家具は母の趣味でアーリーカントリー調で統一され、家にはダミーだがアメリカンな煙突があり、冬には本格的にクリスマスの飾りつけをしていた。そんな車やカルチャーの影響を受けてか、小学生になったころにはピックアップトラックやマッスルカーといったものや、映画「カーズ」の影響でRoute66やカントリーソングが大好きになっていった。
車のスタイルや乗り方にも色々あると思うが、私はその車のスタイルに沿ったカルチャーやルーツといったものを重んじるタイプだ。そして私は、車は自己表現の手法であると考えている。
とはいえ、車の時代時代のスタイルだったりルーツは数週間で理解できるものではないしネット記事を適当に見たり他の車体をまるまる真似しただけでは一貫性を持った自己表現はできない。そこで生きるのは幼少期から磨いてきた車の感性だ。
今は若者の車離れが進んでいると言われている。現在22歳の私はスーパーカー世代なんかの普通を知らないが、僕の小中学校時代なんて車が好きなんて同級生はほとんどいなかった。免許を取得したあたりで興味を持つ人が若干いるだけといった具合だ。
何も子供時代から車が好きな方が偉いとは全く言わないが、Hotrodとはなんだ、USDMって、"K"ustomって何?というカルチャーを含んだ話になるとやはり車に興味を持ち始めてすぐの方には理解の難しいところではあるものだ。
まあ確かに車なんて好きに乗りゃあいいしガキの頃から車、車言ってると頭でっかちな知識ヲタクになりやすい。とはいえ私は幼少期から20年近くも北米を中心とした車への想いがあったので何か「昨日今日で車に興味持った奴に何が解る」と言ったプライドに近いようなものがあった。

Chapter 1
前置きが長くなってしまったが、高校生になった私は車の貯金のためにバイトに励んでいた。働きすぎて体調を崩したこともあったが、あても無くなにも決まってもいない将来の愛車のために無我夢中だった。とはいえ憧れている旧いアメ車なんて維持費や車体価格からしても4年制の学校に進学する私にはとても現実的ではなかった。
そんなある程度お金が貯まった頃に一本の連絡が入った。友人の友人がダットサントラックを手放すがどうだ?といった内容だった。写真にはサフ吹きっぱなしのフェンダーで錆穴もあるヤれた茶色の620型ダットサントラックが写っていた。当時は詳しくなかったが貴重なキャンパーシェルもその当時から搭載されていた。フロントフードを持つピックアップトラックは子供のころから大好きだった。ただでさえ大きい荷台を持つのにフードもあるアメリカのフルサイズピックアップの余裕なパッケージやエルカミーノの優雅なピラーは子供ながらとても魅力を感じた。それと比べると正直このころはミニトラックというものに視野は置いていなかったが、アメ車?と思うほどのハンサムなグリルや造形を持つ620に私は一目惚れした。友人に連れられ現物確認した日には、不動でもあるのにかかわらず買います!と即決していた。高校三年生、ほぼ免許取得と同時だった。初の愛車が積載車で不動での購入になるとは自分でも予想外だった。
そんな不動のダットラをコツコツと直し車検を取得したころには自動車デザインを学ぶ専門学校に入学していた。あくまで学生なのでお金をかけたカスタムなんかはできないというのは前提である。不動上りの個体なので乗り始めは細々としたトラブルの発生と修理の繰り返しだったが、1年も乗った頃には慣れてきて色々と車をいじり始めていた。
620と言えば510やZ car(ズィーカー)と共に北米、特に西海岸への日産ダットサンの進出を大きく飛躍させた車だ。強い日差しに耐える為ダッシュボードは分厚く、エクステリアデザインも北米人受けを狙ったものになっている。1970年代以降には安価なダットラやシボレーS10等の"Mini Truckin"スタイルが流行する。中でも620は初期の、ヒップアップな車高に派手なペイント、スポイラー付きのシェルにポト窓といったバニング時代のスタイルのイメージが私は強かった。
せっかく段付きのシェルが載ってたので前オーナーから譲っていただいてたバハホイールをゴールドに自家塗装して履き、フロントを下げトラッキンを自分なりにイメージし乗っていた。錆やヤレた車は昔から好きだったが、ダットラはからし色やオレンジの西海岸な色のイメージが強く、70'sトラッキンなスタイルには合わない茶色は最初はあまり気に行っていなかった。

Chapter 2
それからというもの、シェルを外して車高を低くしたロケバニもやっている最近の流行りな方向に振ってみたり、内装をメキシカンな雰囲気にしてみたりと試行錯誤の日々を送っていた。
そんなときヒントになったのは音楽だった。
趣味は車、音楽、グルメ、、だったりと様々あると思うが、私はその個人の趣味や好みとなるものは、ルーツだったりで何かしら”つながり”があると考えている。
具体的に言うと私の場合はピックアップトラックとカントリーソングが好きであるが、ピックアップトラックは北米の田舎部においてかなり重宝されており、カントリーソングの詩には必ずと言っていいほどピックアップトラックが登場するし、両者は切っても切れない関係なのだ。
ダットラに乗るときはいつもカントリーばかり聴いている。車では単純に好きな曲を聴く人、車に合わせて聴く人、、と様々だが、私の場合は運転中に見えるカサカサなダットラのフロントフードが好きな音楽とマッチしていたのでさらにカントリーカルチャーに趣くようになった。
アメリカンカントリー、私の求めるものはこれだと確信した。

とは言え私はアメリカ南西部の現地のトラックを再現したいといったつもりはなかった。現地仕様、つまりUSDMなカントリートラックづくりとなるとやはりミニトラックではなくV8エンジンのフルサイズが必要不可欠だ。あくまで私は学生バイト代で乗れるこのダットラでの自分なりのアメリカンカントリーを目指した。南西部でよくいるのはシルバラードなどをリフトアップし大型ホイールを履かせたイケイケスタイル。タイヤも大きく非常に迫力があるが、ダットラで似たようなスタンスをやろうとしても、どうしてもそのボディサイズからちんちくりんな風貌になってしまう。

Chapter 3
そんな頃、SNSで衝撃的な出会いを迎える。
とある動画で1/4mileレーストラックに映っていた1台のボロいシェヴィーC10。私のダットラのように外装はボロボロで田舎臭いシェルが載っており、いかにもアメリカで農家の物置にされていそうなものだった。しかしそのトラックは鋭いエンジンサウンドを轟かせウィリーしながらストレートを駆け抜けていったのだ。見た目通りの"Farmtruck"と名付けられたそのマシーンは鈍臭いボディに800hpもの出力を発揮するモーターを搭載した代物だったのだ。
私はそのFarmtruckに一目惚れ。もちろんダットラは学生カスタムなのでそんなレーシングモーターを搭載するのは厳しいがなにより足回りに大きなヒントを得たのだ。Farmtruckは前後共に素朴なスチールホイールだが、リアはフェンダーギリギリのムチムチなサイドウォールを持つタイヤでその深リムなリアホイールを収めていた。いかにもなHotrodなタイヤバランスがシェル付きのトラックに絶妙にマッチしていた。コレだ、と確信した。
他にない、唯一無二でありながらかっこいい車をつくるのは本当に難しいものであるし、一般的には「誰もやっていない=ダサいから」と言われるものであり、何かしら自分なりにかっこいいと思うスタンスから着想を得るのは非常に重要な手段である。唯一無二なものでもある一定の"王道"なポイントを抑えることで"はずし"が生きてくるのだ
私はFarmtruckの足まわりを丸々取り入れることにした。フロントは素朴な5.5Jスチールで195/65R15、リアは7Jを255/60R15のFirestone INDY500でおさめた。リアに至ってはフェンダーの爪オリでギリギリ入った感じで、内側もあと20mmほどで板バネと干渉するのでノーマルのダットラではこれが限界であると言えるだろう。リアのデイトナホイールはいかにも日本人がハイエースやらに履かせる雰囲気なので好まないが、ギリギリのオフセット計算ではほかに履けるホイールが見つからなかった。機会があれば加工深リムスチールホイールを履かせたい。
またリアゲートにはカウボーイを描いた手描きのペイントを施した。ダットラならではの70'sTruckinにカントリー要素を取り入れたこだわりポイントの一つである。


next gen
序盤でも述べた通り私は車は自己表現の手段の一つだと考えている。自分が重んじるカルチャーや自分のスタイルを表すのに車ほど良いものは他に無い。
ダットラならではのTruckinスタイルにカントリーな雰囲気、そして足回りで若々しいHotrodderを表現した世界的に見ても唯一無二なダットラができた。最初は好きでなかった茶色いボディも今ではこの車ならではのポイントである。
好きなものを何でも詰め込むと一般的にはごちゃごちゃしがちだが、なんとか統一感のある印象でまとめることができたと考えている。カーデザインを学んでいることもあり、そこには人一倍の吟味、考察が加わっているつもりだ。
この車で走り始めてから丁度4年を迎える今月、私はH社のデザイン部に入社するにあたり研修や昨今の新型ウィルス問題による外出自粛も関係し、一旦の区切りとしとして車検を切った状態で数ヶ月、あるいは1年間寝かせることにした。
今年中にはまた全く別の車で新たなスタイルを表現するつもりである。デザインの仕事をする身としても、しっかりと自己表現しながらも新しいスタイルを提案し続けていきたい。


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Photographer: Yusuke Kimura
Instagram: @ft27_photograph
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